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ブログをはじめる事にした話

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ご挨拶的なあれ

皆様、はじめまして。

と、何度書き出した事だろう。振り返ればホームページやブログなんて、何十も何百も作ってきた。

そんな私が、50歳になろうとしている中年?初老?で、今更改めてブログを作ろうとしている。
Facebookや他SNSでなく、「ブログ」をスタートさせようとしている。

この10年程、色んな事があった…ありすぎた。
更に20年程振り返ってもありすぎた。

喜びも悲しみも、本当にたくさんあったのだけど、そのどれもが今更になって「自分の人生」という己のブランドなんだと開眼した。

喜びや悲しみの数とは

子供の頃に大怪我をしたり、車で大借金したり、父親が早くに亡くなったり…。
また、その逆に嬉しい事や楽しい事もあった、、、あったよね?(汗)。
えーっと、、、高校に行けたり、好きな子と付き合ったり…、えーっとあと何があったっけ?

振り返ると、苦労した事やショックだった事、悲しかった事ばかり。
嬉しかった事や楽しい思い出、喜びの出来事って意外とすぐに思い出せない…。
自分の性格なのかも知れませんがね。

そんな時にいつも思い出す言葉があります。

まさかの祖父の著書、「そして生きた」です。
勘違いあるあるの自費出版(まさかの4冊目)の本。一応NHKの自分史なんとか…っていう作品賞に選ばれた一冊。

その末尾にこう書いてあるんです。

「生きている時間の中で、悲しみはその70%を占めると聞いたことがある。」

どこで聞いたのか知りませんが、祖父が本に記したこんな悲しい言葉が、いつの時からかチラチラと舞い降りる事になりました。

この本自体はそんなに真剣に読んでませんが、第二次世界大戦の祖父の従軍戦記と、戦後〜現代までのプライベート的な話が書かれています(たぶん)。amazonでも売ってるみたいですが、私の自宅には2冊しか残ってません。

祖父の残した本と言葉

いい思い出がサッと出てこない私。また躾(しつけ)の厳しかった祖父から、今なら完全なるパワハラのように私を躾ており、祖父との楽しい思い出は私には残っていません。そして、それに逆らうかのように、お手本のようにグレてグレて晩年まで祖父に迷惑を掛けてきた私。

そしてこの本の末尾の言葉。
かけがえのない真実があるとするなら、本に記された言葉は祖父のどんな言葉よりも今生きている私に刺さっているのです。

5歳の時の私と祖父。叔父(祖父の長男)の結婚式に行った。

私自身、10年程前から仕事やプライベートで辛い事が続いていたのですが、この言葉が寄り一層胸をえぐってくるのです。

「人生の70%は悲しみ」

いつの間にか、自分でこう思うようになりました。

名薬バファリンですら、半分は優しさで出来ているというのに、70%が悲しみとは…。
そんな思いを持ちながら40代を私は生きていました。

もやもやした気持ち

そんな中、自分の事も世の中の事も「もやもや」するようになるわけです。

更年期ってやつでしょうか?人に聞けば「ミドルエイジ・クライシス」なんて言う名称もあるようですが、中高年になる事で感じる何か…こう…「理由なき憂鬱感」みたいなものを、常日頃から感じるようになって、それがもやもやと。

私のこれまでの愉快な人生については、また別で書こうと思いますが、辛うじて現在10年近く苦楽を共にするパートナがおります。

名を「まさこ」と言います。
その存在は、私のもやもやした気持ちを、さらにイライラさせてはいますが、色々ありながらも二人三脚で70%が悲しみの私の人生のパートナーをしていただいております。

写真1つとっても、イラっとする表情をしてくれます。
まぁ、またそこが「もやもや」を忘れさせてくれてるんだと、私自身は嬉しい悲鳴としております。

イライラの70%はパートナーが原因?なのでしょうか(笑)

話は広がり脱線する

40過ぎのおっさんが、ブログを始める話をすりゃいいのに、祖父だのパートナーだの話が大きく反りくり返ってきましたが、そろそろ本題のまとめでございます。

祖父の残した言葉。

「生きている時間の中で、悲しみはその70%を占めると聞いたことがある。」

「そして生きた」小島 正一 著 より

私はその70%を本当に感じましたし、今振り返っても「本当にそうだな…」と、なんだか淋しい気持ちにすらなります。

俺の人生の70%って悲しみなのか?

いや…、ご飯も美味しいし、パートナーと馬鹿やってる時は笑顔になってるし、ワイルドスピードの続編楽しみだし、カメラ買うの楽しいし(あれ?)、写真撮るのも楽しいし(あれ???)、何よりこうして生きててSNSで色んな人の投稿見たり、生きてるだけで楽しい事って結構あるのに、、、なんで悲しみが70%なんて祖父はどこで聞いたのだろう。

人生は楽しみを見つける旅

祖父は激動の大正〜昭和という時代を生きて、生き抜いて父を産み育てその父は私を産み育て。
きっとその中で悲しみもあった事だろう。でもね、、、でもね、、、

今こうして思うのです、「人生の70%は悲しみ。だからもっと喜びを見つけよう」って。

きっとそういうことを祖父は私に残したかったのだと思います。、、、勝手な解釈です。

また祖父の事については、書きたいと思いますが、今回は私のブログをスタートさせるきっかけの話。

そう。

人生は楽しみを見つける旅

そう考えるだけで、なんだかモヤモヤが少しだけ取れていく感じがするんです。

なんだ!!人生ってもっと楽しんで良いんだ!いや…楽しまないと悲しみが70%で埋まっちゃう(汗)

今はそんな気持ち。

おまとめ

きっかけなんて何でも良かったのですが、そのきっかけの1つは祖父の言葉。
悲しみを70%にしないように、楽しい事をもっと見つけてもっと刻んで。

かくいう私にはカメラや写真が趣味としてありまして、「楽しみや喜びを残す」にはピッタリの趣味なわけです。
ましてや過去を振り返っても悲しい事や辛い事を思い出してしまう私には、しっかりと「楽しいことを残す」為にも、インプットとアウトプットを繰り返して、「こんな楽しい事がありました」なんて書いてないと脳が悲しみで溢れちゃうと思いました。

そして本日2月1日は、大切なパートナー「まさこさん」の誕生日なのです。
何かをスタートさせるなら「今日しかねーぜ」と思いついてのスタート。
ちなみにこのブログのドメインを取得したのは2019年の3月…今から4年も前からのお話。

いつかやろう書こうと思っていたブログ。それを今日からスタートさせようと思ったのは、きっと意味があるはず。

そして祖父の残した「人生の70%は悲しみ」は、「30%の喜びをもっと増やせるのは自分次第だ!」というエールだと思いこんで…なんてかっこいい事書こうと思っていたら。

49年前の祖父の直筆のアルバムの文字。

「ともすると歴史を忘れ 祖国という貴さ(とうとさ)を失するものである 歴史と共に己の人生がそこに在り それは史(ふみ)することに依って未来へ贈られる人間のみのもつ宝玉であろう」 正一(祖父)

49年前に祖父に命じられた、「史する」という使命。


私はこれまでの人生も、これからの人生もブログに史(ふみ)する為に産まれてきた?

そんな衝動に駆られて、尚且つ現パートナーの誕生日という覚えやすい日という事も重ねて、ブログをスタートさせようと思いました。

同世代の方々に喜んで頂けるようなブログにしたいと思いますが、全くもってどんな内容にしようか決まっておりません故に、その辺も含めて楽しんでいただければ幸いです。

少々長くなりましたが、世界中の誰にも1mmも関係ない、何の影響力も存在意義も今は全く無い、私のブログをスタートさせる理由。でございました。

最後までご清読ありがとうございました。…あと少し続く。

太宰府天満宮へ祖父とお参り

こうして振り返ると、祖父との思い出も写真によって蘇る。
悲しい事ばかりじゃないし、幼い私の横には笑顔でタバコを吸いながら、面倒をみる祖父の姿が写っていました。

写真と文章をブログに綴って、70%の悲しみを減らしていく私の人生の棚卸し…「自分史」のスタートです。

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